2008-01-01から1年間の記事一覧
天高く、着古し干してふわとなり、お気に入りに留まる。
お花と等価の毬栗は、店頭に並びつつ、人知れず転がる里山の仲間を、懐かしむ。
黄緑色の肌に無数の点を纏う梨は、まったりと広がる味の二十世紀で、おちょぼ口の食べ方が似合う。
背丈のコスモスに寄り添い、ふわふわ葉から揺れる花の色と容姿が、私に満ちるまで秋桜浴をする。
赤茶色の新葉が、枝えだに生え出てきて、秋たけなわの頃に四季咲きのバラは、春の力を惜しまず出す。
気持ちの雲合いが晴れないでいる日、水周りの掃除をやってみる。ただやってみる。どんどん。
注意不足が電子辞書を壊す。便利は脇にして、言葉の海に行き、五官と五感の体操を日課にしよう、と思い立つ。
散歩で会った子どもたちと団栗を拾うと、ベレー帽のドングリマンが素早く目鼻を付けて、かわいい秋を部屋に運んでしまう。
地下道を出ると、雨が水溜りに波紋を描き、金木犀の香りはそこはかとなく漂い、秋が忍び寄る。
名月の御出ましがなく、お月見団子の旨みが欠けた分、仲間の秋の七草と、輝く月の出を待つ。
庭の鈴虫たちの清涼な音色と、記憶の中のヴァイオリンが合奏し、秋の気配に包まれて、小さい演奏を楽しむ。
公園の赤い彼岸花に混じり、萩の紅紫色の小さな花が枝葉とゆらゆら遊ぶ。眺めれば、揺れる自分も好いと思えてくる。
汗をぬぐったハンカチや風を送った扇子がこんな活躍した猛暑も彼岸まで、と昔の人のように決めて、お墓参りに行き、無事に過ごせたことを感謝する。
アーケード建て替え工事は、駅前通りの脇道で、いつもと違って何かへんの印象から、かつて、大空がドームと覚えているサンロードの吉祥寺に立ち返り、来年桜の頃の、装い新たな通りに注目します。(行列の出来る和菓子店と肉屋が待ってます)
歯磨きの改善指導を受けて、点滅の生活習慣が青信号に変わる時、なにか自分進化みたいな心地がする。
いつも賑わう商店街で、失望と不安の見え隠れにあとをつけると、アーケードは外され 空がのぞき、屋根のガードがないっと気付く。
私の心身の襞にいる喜怒哀楽が震え、自在に伸縮して、ヴァイオリンの旋律に乗り、 Atsuko Temma の奏でる宇宙旅行に行く。
庭の夏草にけじめを付けて、秋海どうの淡い紅色の小さな花が、秋が来たと告げる時、 質素な暮らしの中に豊かな心を見つける。
地面を打つ雨が、いっとき止んだ夕方に、舗道の先のV字空間から陽光が差し込む。洗われた清々しさを浴びて、朝日かと見紛う。
新政権の担い手は、命の移ろう期間、言葉の鼓動を真剣に聞かせてください。言葉でし か繋がれない国民は、伝わる表現を了解していくとき、支持することが出来ます。
オープンした近所の駅ナカは、ガラス戸の向こうに見慣れた並木が、都心の洒落た街角のように映り、手に持つ花とスウィーツが普段を越えて華やぐ。
夕暮れ時、夜は豪雨と雷だ、と言い放つ暗雲の裂け目に、白い雲が、青空を味方に金色の筋をまとって浮かぶ。暫しゆるゆるとしていて。
浅草雷門の風神と雷神の紙袋が、なつかしい空間を運んでくる。雷おこしのサクッとした歯ごたえと舌触りの甘味が広がり、気持ちがほぐれる。
面白くない小話を、咄家の顔が左に右に向くうちに、釣られて笑い出し、手を打ち笑ってしまう自分に可笑しくもなり、また笑う。
4人の男子が力を合わせる秒速ドキュメンタリー。日本らしさのアンダーハンドパスは観客につなぎ、バトンは自分らしさに夢中の人間に、全部渡った。
一匹の蚊の羽音が、捻った腰痛の私に、人生の過不及を刺す。眠れない暗闇にひそむ言葉が湧いた時、書き留める自分に納得する。
路地が突き当たる浅草通りの向こうに、海が小さく見える。昔ここは海だったと騙し絵の主は悪びれた様子もなく、青い建物を平然と指す。
アテネ五輪のどよめきの中、課題への攻め合いは、誰もが自分に負けたくない甲子園の球児だった。きつかわ塾長と塾生たちの暑い意識が、今日の青空に表れる。
本書を開くと、個人が丸ごと試されつつも、薬玉が弾けて五色のヒントが舞い降り、自分を整えることが出来て幸せ。
虎の微かにうねる毛並みに触れたいと思うや、さっと猫風の虎が来て、屏風と襖は消えてアニメに見入る。