2011-05-01から1ヶ月間の記事一覧
花粉や虫に顔を赤く染められるうちに梅雨入りだ。雨期は「シーベルト」の横暴な振舞いに負けたくない。こちとら「シューベルトの子守歌」で適正な睡眠をとる所存。
自粛の気持ちが緩んで花見に出かける。花ばかりの日本画の美術館は満開だ。華やかな花々の力が迫るなか、花瓶に名も無き草花の絵を見て、新鮮で懐かしく目が潤む。
被災地へ放映のテノールとソプラノの「ふるさと」。見事な調べの余韻に自分をのせて食事の支度。ポテトサラダはうーん!と仕上がり、普段はない達成感をもらう。
学生時代のあの頃の女子力がもりもり出て、はるか昔の話しは止まらない。忘れ物を見つけたような空気が膨らんで、未来は引き算で暮らせば、大切なものを取り戻せるってわかる。
4月に来日のドミンゴをTVで観る。遠い日、国立競技場ライブの記憶が迫る。堂々たる体躯のオペラ王が歌う「ふるさと」は、大和魂を震わせ心に染みて涙がこぼれる。
3.11から2ヶ月に「もう」か「未だ」の副詞を選べない。「普通」を喪失をした暮らしを想像力で分かち合うことはマナーだ。がそれ以前に行方不明の家族を探し続ける映像は消えない。
混乱の日本で浜岡原発が止まろうとしてる。みどり萌える季節の今、静岡県産の新茶をゆったりと味わえば、少しずつ鎮まっていく気配がきゅうくつな幸せをくれる。
庭の鈴蘭が姿も香りも可憐だ。別名の君影草を呼べば、亡き母の手植えと今まで及ばなかった空間ー東京大空襲で何もかも失った昔話ーが現実味をおびて五月の新緑に滲み出す。
ラジオから京都刑務所の人々が義援金を送ったと知る。マグマの力は私の中の善悪や美醜のプレートもガクンとずらし、意識の水が跳ね上がった。これからの在り方を大事にしたい。