2008-07-01から1ヶ月間の記事一覧
衣類は陽光を浴びと感情や欲望が炙り出され、身体は記憶にないと暑気払いをする。
キャベツを二分すると、真ん中に乳白色のキャベツ人が両手の丸を次々と掲げて、千手観音のように鎮座する。
本日の取組みで、暑さが技の土用の丑富士を自分大海が小手投げで下したのは、精神的 なけいこの安定感から。
東照宮の待つ日光駅へ、電車のドアは手で開けて心を江戸時代の世界遺産ににじり寄せる。
赤い西瓜をどんどん食べると、今日の気分のでこぼこが水のように平らになっていく。
棋士が最善手を指すように日本語の使い方を自在にするには、挑む姿勢が共通するとしきりに感ずるのだが。
わたしの真心をご先祖さまにお供えしますゆえ、ごゆるりとお過ごしくださいまし。
行き合う犬が人の先だったり後だったり。犬には犬のからだやきもちの都合があるような。
言葉は生きものーが信念なのに、一時のPC不都合に直ぐ「深呼吸する言葉」パスを決め込むわたし。
雨戸を開けると朝が来ていた。ピュアな明るさに促されて自問する。ほんとうの言葉を かけるのか。
一緒に仕事をした古い衣服や無用な考えを捨てるヒントは、虫たちの脱皮だ。
幼い頃、私の知らない客人が大勢見えた華やぎの空気感がフラッシュバックした。
桜木の緑の枝枝が玉川上水にダイブして、水の流れを隠している。車道の車が途切れた 時、せせらぎの音が確かに飛び出しきた。
誰も呼んでいない公園で、振り返って近寄るくちなしの花。若く逝った親友と分け合った甘く切ない香りに、なつかしく離れがたい。
この宇宙はたった一つの命。一人のわたしも宇宙体でつながっている。この広大無辺な宇宙を書きながら探検してみよう。
かかとから着地してつま先へとただ歩くのではなく、ウオーキングをデザインしてこの好きな武蔵野の街を楽しみたい。
コンクリート仕上げのひんやり空間で、クリエイターたちが次々と問いかけてくるが、若きイサム・ノグチの男の裸体と対峙した時、水墨画の等身大立体像は私の身体への応えだった。
葉に先立って暗紅紫色の六弁花が目を引く。春に人からのまなざしを向けられるのに、 なぜ今なのか。中国原産の生態リズムなのか。悩んでいるのはどっち。
Sayokoはピンクのバラで顔晴りますって。えっ、私は今日、チョコレートで顔が晴れた よって伝えたい。
マチスの絵葉書に眠る女のだらりと垂れた右手は、若い友からの言葉を私に柔らかく取り持つ。
文月の夕陽が陽光とは異質な明るさを差し出す空間を見る。未来の自分に触る。