遊歩道の低いフェンスから花茎が伸びる彼岸花が暫く続く。赤く細く輪状の炎のような怪しい咲きっぷりは辺りを明るく広げて、曼珠沙華の固まったイメージを払拭する。
記憶の断片がパッチワークする記念会に、共有した時間が蘇る。著者の「食と安全の運動」の先達は80歳を前に「すべて、台所から始まった」と。ゆるぎない言動と艶やかな感性に今日も魅了される。
大騒ぎの「真珠の耳飾りの少女」に会いに。長く並んで待つ暑くて熱い時間から、高まった精神に永遠の余韻を与える「少女」。深く記憶に残る確信に今や個人が大騒ぎだ。
『夜と霧』を真夏日に読めば深く心が動き止まらない。フランクルの「生きる意味」は、立ち込めてた霧を晴らし存在を剥き出しにする。新しい朝に全身全霊を捧げる。
ふりむけば好青年が落としたハンカチを届けてくれる。息急く様子がふと恋をしていた遠い夏の昔を差し出し、柔らかい感触と甘美の広がる停車場にいっとき若者になる。
いつもの朝ウォーキングも、光差す度合いから木々の影模様、風の吹き加減で心に体に新しい印象を与える。遠くに出かけなくても残暑の蝉鳴く小さな旅のなか。
驚嘆のビッグ氷苺ミルク対氷宇治金時。泊まりがけで話した今やこれからの事はかき氷の味わい。どんな人生がこの親しい高1女子を待っているのか。眩しい光が別け隔てなくシニア女子をも応援する。
工事音を遠ざける蝉の声に行き交う車の音。市街地なのに不意にホーホケキョと夏鶯が歌う。ウォーキング中の休憩は、夏音色ミックス演奏会の緑陰アリーナ席だ。
じりじり。無音の陽光が照りつける。ジリジリ。運動選手もそうでない人も、ぢリぢりと寄るほどに自分と戦う時が日常にある。
日の入り近く電源をオフにして窓を開ける。残照の木々の葉が揺れて、オンまでしばし待てば、ロンドン五輪も暑さも静寂に姿を変える。
すぐさま微笑みが充満するビートたけし「絵描き小僧」展。金魚と犬猫風の動物が青い水の金魚鉢にいる絵は、くつろぎが自分の中に戻ってきて体感温度は新記録だ。
緑道を行けば一陣の風がさっと出て、私と一緒になって梅雨明けの光と影を通り抜ける。夢中で歩くなか、風の請負人はこの区間を完了してしまう。
新聞の連載小説は今日で了。報道の大津いじめと重なりザラっとした感触の中、遠い昔を思い出す。亡き母が「それは出来ない」ときっぱり言ったという姿丸ごと確かな言葉だ。
「深呼吸」しない心の動揺に、先ずは買いたての石鹸で手を洗う。ポンプから天然油脂の泡がすべてを包む。跡形も無く素早く消えるバブルガードに、息が整う。
毎年7月、インド綿の鼻緒付きルームサンダルで新品の足触りを確かめる。ふと「ゆく河のながれは絶えずして、しかも、もとの水にあらず」を諳んじて清夏を待ち受ける。
近くの遊歩道でいつも立ち止まる場所は、自生の野草を大切する掲示板の前だ。読む人への応援にもなる言葉の連想力が、足の筋肉を躍動させて歩き出す。
フロアにい草ラグを置く。吸湿・放湿性の優れが売りの一畳サイズだが、一目惚れは正解だった。寝転べば、身心の湿り気がゆるりと退散する心地。
歩道に青梅が散り散りに?いえ青いさくらんぼが二つ扇形の葉と辺りを敷く。台風4号の乱暴者が、銀杏の青春時代はこんなにも青く無臭で瑞々しいでしょと。
梅雨の晴れ間は忙しい。身体の手洗いに心のへこみの天日干し。ウォーキングでは肢体をゆったり伸ばすコツを、雨をいっぱい吸った葉や花や木から教えてもらうから。
天安門広場の観光記念写真。映像で馴染みの世界最大の広場は、眼前で普段の感覚を消し去る。北京のモダンと歴史の巨大な集合体に13億の民。先週、弾けた個人がじわじわ来る。
息を整え万里の長城・八達嶺に踏ん張り立つ。真夏日の暑さとひんやりとした風が茫茫と吹き抜け、賑わう観光客は消える。険しい地勢の盛観をただただ感じ入る。謝謝。
真綿に包まれたそら豆が固い円筒形のさやから弾き出て、茹でると翡翠の緑色が甘味を届ける。友が家庭菜園で数年も挑戦した物語る作物だ。
一日の始まりはコップ一杯の白湯から。今年の冬の或る日、図書館の雑誌が身体の叫びに答える。継続の先は「ムンクの叫び」でないと確かに感じる。
友に頼まれて「さようなら原発」の署名をご近所にお願いする。普段はない思いがけない会話が弾み、居合わせる時のご褒美は、今日の金環日食のようだ。
昨年末ベランダに置いたままの、鉢植え苺の実がほんのり色づく。雷も嵐も超えて、密かにイチゴデスと存在してカワイイ。もうじき食べちゃう。
近くの新しい店へ。桜の花びらから天然の酵母を培養したパンを買いに。薫風にキラキラする葉桜の佇まいも入り込む、フランスパン風のあんパンを頬張る。
遊歩道に連なり彩る花つつじ。上からでも下からでもなく見る位置は、人への視線もそれがいいと、花に寄り添い心地良さを確かめる。
五月が渡る時のしじまに、ざっとこれで良しと思ってみる。もっとと望むより今をつなぎ持つ力の何かを、新しく暮らしに生かしてみる。
やっぱりウォーキングと緑の道を進めば、工事音が途切れ玉川上水のせせらぎにはっとする。わずかに流れる音が、3.11後の身体の隙間に入り込みサラサラ流れるような。
現場はまだ見上げるクレーンがある中、南北通路・新改札口が現れる。最寄りの駅なのに旅に出ているようで、人生のカンバスの余白に何色か置きたい気分だ。